

被災地でもっとも大切なものは、人と人のつながりやネットワークです。これを大切に育てていけるよう、仮設住宅でのコミュティづくりにつとめています。

避難所から仮設住宅での生活が始まっていますが、仮設住宅への入居=自立ではないと私たちは考えています。福島県の場合、地震や津波の被害だけでなく原発事故により避難生活を余儀なくされている方々がほとんどです。食習慣も文化も違う中通りや会津地方での避難生活です。いつになったら生まれ育ったわが家に帰ることが出来るのか?仕事を失い働きたくても働けない方々。収入がありません。
私たちはいま、仮設住宅生活支援班をつくり、炊き出しや支援物資の提供を行っています。仮設住宅は町村ごとに入居していますが、震災前のコミュニティは保たれてはいません。仮設住宅での新たなコミュニティづくりのために集会所をお借りして週1回、お茶会を開催しています。その成果があり、仮設住宅の方々とも顔の見える関係になってきました。今後も支援物資の配布や炊き出し、お茶会の開催を継続しながら、仮設住宅の自治会に協力する形でのイベントなども開催予定です。



1995年の阪神淡路大震災の時、郡山からボランティアを派遣する目的で「郡山阪神大震災ボランティア派遣委員会」を立ち上げ、兵庫県西宮市の高齢者専用避難所とケア付き住宅に7か月間で述べ1000人のボランティアを派遣しました。
阪神淡路大震災で学んだ多くのことを生かし、災害にも強い元気なまちをつくっていきたいという思いから、翌年1月に「ハートネットふくしま」を設立。2000年10月から「NPO法人ハートネットふくしま」となり活動を続けています。

福島県は、地震や津波に加え原発問題を抱えているため、原発避難の方々が浜通りから中通りや会津地方へと避難してきました。震災後しばらく雪が降っていましたが、火の気のない高校の体育館で皆さんに渡されていた食事は「冷たくなった白いおにぎりとペットボトルの水」。寝具類は、2~3枚の薄い毛布。そんな状況を見て、私たちは暖かいものを提供したいという思いから汁物の炊き出しを始め、また全国から届いた厚手の毛布も「欲しいだけどうぞ!」と言ってお渡ししました。震災後4~5日経った頃、避難所を回っていると、冷たいものしか口にしていないと言う老夫婦に私が持っていた暖かいお茶を差し上げると、ひと口飲んで「あ~おいしい!」と涙を流しながら私に手を合わせたおばあさんの様子が今でも忘れられません。
今回の災害では、避難所の食事が2か月以上「おにぎり」というところもあり、私たちは避難所が閉鎖になった8月末まで避難所での炊き出しを続けました。



阪神淡路大震災の時、ライフラインといわれるほとんどの線が切れても、たったひとつ最後まで残ったライフラインは人と人とをつなぐ線であったことを学びました。その人と人をつなぐ線、ネットワークづくりを大切に活動を続けています。

地震、津波、原発事故そして風評被害と福島県、福島県民が想像を絶するほどの大きなダメージを受けています。この状況を「ふるさとが壊れていく」と表現している人もいます。それでも私たちは立ち上がろうと頑張っています。そんな私たちを忘れないでください。応援し続けてください。

※ 通信欄に「ネピア」と明記ください。